第6回 “やっぱりスゴイヨ!”シマフクロウ

2008.06.13

●高野伸二さんとシマフクロウの写真
私の心の師である高野伸二さんは、ちょっと大げさな言い方できっとご本人は気にいらないだろうけど、自然を愛する人たちみんなのお手本みたいな人だった。陽気で、優しくて、厳しくて、そして何でもよく知っていて、私はひそかに「歩く自然図鑑」のような人だとも思っていた。私の写真家としての心のあり方、そんな原点のようなものを教えて下さった高野さんが亡くなられて、今年の10月15日でちょうど10年になる。そう、もう10年もたってしまったのだ。

高野さんが生前にシマフクロウを撮影されていたということを私が知ったのは、高野さんが亡くなられてから数か月後のこと。やわらかい光が差す自然木の洞の中で、じっと卵を暖めてこちらを見ている親鳥。自然木の形といい、シマフクロウの顔といい、それはすばらしい写真だった。

しかし高野さんは、シマフクロウの写真は一度も発表することなく亡くなられた。奥様のお話では、シマフクロウのために発表はしなかったのだそうだ。その写真を発表したことで、大勢の人が撮影に出かけるようなことにでもなったら、きっとシマフクロウに悪い影響を与えることになってしまう。このことを本当は危惧しておられ、結局その信念を貫かれたまま亡くなった。

私がシマフクロウに初めて出会ったのは1978年。1980年までの3年間で何度かのチャンスがあって、運よく撮影することもできていた。すぐに有頂天になる私は、きっと高野さんにも大喜びで撮影できたことを話したはずなのだが、高野さんがそのとこにどんなふうだったのかは思い出せない。高野さんのことだから、きっといっしょになって喜んで下さったと思うし、少なくとも写真を発表した私を責めるようなことは決してしなかった。だからなおさら、「高野さん,水臭いじゃない」と、今になって恨みがましくも思ってしまう。でも、そんなふうに思うすぐ後には、はっきりとしたことばではなくても、たんとたくさんのことを教えていただいたことだろうと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。

自然界に深い思いやりのあった高野さんと、単純な私とでは愛情の表現の仕方が違うかもしれないが、シマフクロウに対する胸が震えるような思いはきっと同じなんだと、勝手に自分で思い込んでいる。私は、私の見たシマフクロウのすばらしさ、大きいこと、かっこいいこと、精悍なこと、でもかわいいことを、いつでも誰にでも話したいと思う。そして私はこうして、またシマフクロウの写真を発表してしまうし、「シマフクロウってやっぱりスゴイヨ!」と大きな声で言ってしまうのだけれど、こうすることでシマフクロウに関心をもって、でも一歩下がって温かく見守ってくれる人がきっと増えてくれると確信しているのだ。あの世で高野さんがなんと言っているかはわからないけれど、高野さんが心配していたようなことには絶対にならないと信じたいと思っている。

●シマフクロウを守らなくては
現在、シマフクロウがすめる森や営巣できる大木がほとんどないという事実、水質汚染などによって主食にしている魚がすめる川も本当に少ないという事実、交通事故死や電線に引っかかって感電死をする個体が毎年のようにいるという事実、生息数がとても少なくて絶滅の危機に瀕していて、保護は急を要しているいう事実など、たくさんの問題を抱えていてすべてをクリアすることはとても難しいのだ。でもここまま何もやらなければ、シマフクロウが絶滅してしまうことは明らかだ。

国から天然記念物に指定されているシマフクロウの保護のために、国はもちろん、民間団体、そして善意のたくさんの人たちの努力と協力がそそがれている。根室市在住の山本純郎さん、そして私の親しい友人でもある高田勝さんらはまったく手弁当で、長くシマフクロウの保護活動をしている。

国がシマフクロウの保護、調査に重い腰を上げたのは今から10年ほど前のこと。山本さんが何年も前から行っていた巣箱かけや給餌にも、国の予算がつくようになったのだ。もっとも十分とは言えない予算で、体の大きなシマフクロウの巣箱や餌とあっては結局手弁当に変わりないが、少しずつよい方向に向かうようになってきた。国の事業には標識調査(バンディング)も取り入れられ、ずいぶんいろいろなことがわかってきた。
毎年2回は訪れる根室で、いつも高田さんからシマフクロウの保護活動の現状などを聞いていた。元気なヒナが巣立ったといううれしいニュースや、心ないカメラマンが無理をした結果、巣を放棄させてしまったという憤りを覚えるニュースなど。私はそのつど高田さんの話に耳を傾けながら,こうしてはいられないというような、何か胸騒ぎのようなもので体が内から熱くなっていた。
「俺に何ができるだろう…」思わずボソッとつぶやいた私に、「拓ちゃんは木登りだなっ」と,高田さんはニヤッとして言った。「ウン、木登りなら任せてくれよ」というわけで、今年初めて木登り隊員としてシマフクロウの標識調査に参加することになったのだ。(次号に続く)

“バードウォッチングマガジン「BIRDER」(文一総合出版)に1994年4月号から、9回にわたって連載していたものです。”

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